「ジャポニスム」という新しいムーブメント

日本経済もようやく立ち直りの兆しを見せていた1996年。ヤフージャパンが始まり、インターネットが急速に世に広まった年。今思い返せば、時代が変わり始め、新たな世界が生まれる、そんな年でした。

当時のメガネ業界はといえば、コンセプトショップブーム以前のインポートブランドのライセンス商品が全盛の時代。今でこそデザイン性の高い製品が各ブランドから発表されていますが、80〜90年代頃の商品は、単純にスーパーブランドのロゴをつけたようなものも多く、消費者もデザインよりもブランドのネームバリューを求めていた時代でした。

そうしたブランド品として流通していた眼鏡の多くは、弊社も本社を構える福井県鯖江市※1で製造されていました。(もちろん現在もです。)

しかし、こうしたブランドの眼鏡の多くが鯖江で生産されているにも関わらず、海外ブランドの眼鏡として世界で取引されていて、せっかく日本で作っているのに、ブランドとしても国産にできないのは何故だろうと、少し歯がゆい思いをしていました。

眼鏡デザインを行う中で、ほぼ毎日といっていいほど工場に通い、鯖江の高い技術を実際に体感し、メイドインジャパンの製品は十分世界に通用することは確信していました。そこで、どうにかこのメイドインジャパンのメガネを、ブランドとしても日本産のものとして世界にアピールできないだろうかと考えたのです。それはちょうど会社の創業10年目を迎えたときであり、新しい展開を模索している最中でもありました。

そんな中、ファッション誌・流行通信で紹介されていた「モードのジャポニスム」展の記事に目が留まり、この名前に妙に惹かれ展示会に足を運びました。

※「モードのジャポニスム」は1994年に京都からスタートし、その後9年をかけてパリ、ニューヨーク、ニュージーランドと世界にて開催され、日本美術が西欧に与えた多大なる影響「ジャポニスム」がファッションにも重要な変化の要因をもたらしたことを初めて検証した展示会となりました。

そこで展示されていた衣装やテキスタイルを見てとにかく驚き、昔の日本が世界を震撼させていたことを知りました。

幕末開国後、世界に広まった日本の芸術は、遠いヨーロッパの地において、様々なジャンルの若手作家に大きな影響を与え、「ジャポニスム」という新しいムーブメントを起こし美術やファッション史を塗り替えていたのです。

この日本の底力を目の当たりにし、頭の中にあった構想を実現させるべく、オリジナルブランドの立ち上げに踏み切ったのでした。こうして先の展示会に感銘を受け、(株)ボストンクラブとして初のオリジナルブランド、「ジャポニスム」が誕生しました。

ブランドジャポニスム

ブランドジャポニスムの立ち上げは2年程かけ準備しました。

その中のひとつとしてロゴのデザインがあります。「JAPONISM」という文字を何度も何度も筆で書き直し、修正を加えながらデザインを決めていきました。

そのほか、ファーストコレクションのデザインや販売戦略など、様々な準備を行い、いよいよジャポニスムの始動となりました。

1996年の年にブランドを立ち上げ、その年のiOFT(1987年にスタートした国内最大の眼鏡展示会)でブースを一コマ借り、ファーストコレクションを発表しました。

当時の商品コンセプトは、ネオクラシカルというテーマで、日本独自の技術を駆使した日本ならではのメガネを表現することでした。

ブランド名からしてもそうですが、日本の良さを世界に向け表現することは、オリジナルブランドを立ち上げたときの根本的なテーマでしたので、このiOFT展後、必然的に海外の展示会に参加していくこととなります。

そして、同年にニューヨークで開催される眼鏡の展示会に初めて出展しました。すでに契約をしていたカナダの代理店と商談をしたり、その他詰めかけてくれた、沢山の感度の高い世界のバイヤー達と、本当に小さなブースの中で様々なやりとりをしたのを覚えています。こうしてジャポニスムは、ロバートマークをはじめとするいくつかのセレクトショップでの取り扱いが開始されました。

同時期に、フランスのシルモ展やイタリアのミド展にも参加しました。「メイドインジャパンのメガネを世界にアピールしたい」という立ち上げ前からの夢を実現すべく、アジア、北米、ヨーロッパへと進出し、国内外にてブランドを確立させていきました。

こうして、メイドインジャパンのブランドとしてジャポニスムは誕生しました。

ブランドの発表から6年、ジャポニスムの中でもエポックメイキングとなる製品が生まれます。

今までに無いフォルムを導きだすきっかけになったモデルJN-401。

これまでのアセテートフレーム作りの常識を覆す3D製法(油圧プレス)を採用し、立体的な凹凸をつけたフロントサイドやのリムに強弱のある厚みを持たせました。

このJN-401から搭載する機構「板バネ」もまた、ジャポニスムの代表的な構造です。

メガネの丁番には中に小さなコイルを入れたバネ丁番というものがありますが、その掛け心地の悪さや壊れやすさに疑問を感じたデザイナーが、より掛けやすくそして単純な構造のバネ機能を目指し作り上げた機構がジャポニスムの板バネです。

長時間、心地良く掛けてほしいという思いからうまれた機構で、今ではジャポニスムのアイコンともなっています。

その後も新たな価値を創造することへの挑戦を続けていきます。
それまでにない、マユ部分にバネ構造を持つ、ジャポニスムを象徴するメタルフレームJN-431は「機能が美しく自然な形状に内包された」フレームを体現する代表的なモデルとなりました。

そして現在、セテートテンプルの中に立体的なβテンプル芯を入れたバネ性のある立体的な造形のテンプルや、日本の伝統技術である鎚目模様をデザインに取り入れるなど、「既成概念を覆す」というテーマのもと、コレクションごとに進化を遂げています。

※1 鯖江というまちは、世界の眼鏡製造業界においても特別な場所で、国内の眼鏡フレーム製造のシェア率は約96%、世界的にみても約20%を誇る眼鏡製造の一大産地です。この地で初めて眼鏡の製造がスタートしてから現在までの100年以上もの間に、まち自体の産業として地に根付きました。1984年には、鯖江のメーカーが世界初となるチタンを用いたメガネフレームの製造技術の確立に成功しています。当時より鯖江の眼鏡は技術的にも世界をリードしています。

「ジャポニスム」という
新しいムーブメント

日本経済もようやく立ち直りの兆しを見せていた1996年。ヤフージャパンが始まり、インターネットが急速に世に広まった年。今思い返せば、時代が変わり始め、新たな世界が生まれる、そんな年でした。

当時のメガネ業界はといえば、コンセプトショップブーム以前のインポートブランドのライセンス商品が全盛の時代。今でこそデザイン性の高い製品が各ブランドから発表されていますが、80〜90年代頃の商品は、単純にスーパーブランドのロゴをつけたようなものも多く、消費者もデザインよりもブランドのネームバリューを求めていた時代でした。

そうしたブランド品として流通していた眼鏡の多くは、弊社も本社を構える福井県鯖江市※1で製造されていました。(もちろん現在もです。)

しかし、こうしたブランドの眼鏡の多くが鯖江で生産されているにも関わらず、海外ブランドの眼鏡として世界で取引されていて、せっかく日本で作っているのに、ブランドとしても国産にできないのは何故だろうと、少し歯がゆい思いをしていました。

眼鏡デザインを行う中で、ほぼ毎日といっていいほど工場に通い、鯖江の高い技術を実際に体感し、メイドインジャパンの製品は十分世界に通用することは確信していました。そこで、どうにかこのメイドインジャパンのメガネを、ブランドとしても日本産のものとして世界にアピールできないだろうかと考えたのです。それはちょうど会社の創業10年目を迎えたときであり、新しい展開を模索している最中でもありました。

そんな中、ファッション誌・流行通信で紹介されていた「モードのジャポニスム」展の記事に目が留まり、この名前に妙に惹かれ展示会に足を運びました。

※「モードのジャポニスム」は1994年に京都からスタートし、その後9年をかけてパリ、ニューヨーク、ニュージーランドと世界にて開催され、日本美術が西欧に与えた多大なる影響「ジャポニスム」がファッションにも重要な変化の要因をもたらしたことを初めて検証した展示会となりました。

そこで展示されていた衣装やテキスタイルを見てとにかく驚き、昔の日本が世界を震撼させていたことを知りました。

幕末開国後、世界に広まった日本の芸術は、遠いヨーロッパの地において、様々なジャンルの若手作家に大きな影響を与え、「ジャポニスム」という新しいムーブメントを起こし美術やファッション史を塗り替えていたのです。

この日本の底力を目の当たりにし、頭の中にあった構想を実現させるべく、オリジナルブランドの立ち上げに踏み切ったのでした。こうして先の展示会に感銘を受け、(株)ボストンクラブとして初のオリジナルブランド、「ジャポニスム」が誕生しました。

ブランドジャポニスム

ブランドジャポニスムの立ち上げは2年程かけ準備しました。

その中のひとつとしてロゴのデザインがあります。「JAPONISM」という文字を何度も何度も筆で書き直し、修正を加えながらデザインを決めていきました。

そのほか、ファーストコレクションのデザインや販売戦略など、様々な準備を行い、いよいよジャポニスムの始動となりました。

1996年の年にブランドを立ち上げ、その年のiOFT(1987年にスタートした国内最大の眼鏡展示会)でブースを一コマ借り、ファーストコレクションを発表しました。

当時の商品コンセプトは、ネオクラシカルというテーマで、日本独自の技術を駆使した日本ならではのメガネを表現することでした。

ブランド名からしてもそうですが、日本の良さを世界に向け表現することは、オリジナルブランドを立ち上げたときの根本的なテーマでしたので、このiOFT展後、必然的に海外の展示会に参加していくこととなります。

そして、同年にニューヨークで開催される眼鏡の展示会に初めて出展しました。すでに契約をしていたカナダの代理店と商談をしたり、その他詰めかけてくれた、沢山の感度の高い世界のバイヤー達と、本当に小さなブースの中で様々なやりとりをしたのを覚えています。こうしてジャポニスムは、ロバートマークをはじめとするいくつかのセレクトショップでの取り扱いが開始されました。

同時期に、フランスのシルモ展やイタリアのミド展にも参加しました。「メイドインジャパンのメガネを世界にアピールしたい」という立ち上げ前からの夢を実現すべく、アジア、北米、ヨーロッパへと進出し、国内外にてブランドを確立させていきました。

こうして、メイドインジャパンのブランドとしてジャポニスムは誕生しました。

ブランドの発表から6年、ジャポニスムの中でもエポックメイキングとなる製品が生まれます。

今までに無いフォルムを導きだすきっかけになったモデルJN-401。

これまでのアセテートフレーム作りの常識を覆す3D製法(油圧プレス)を採用し、立体的な凹凸をつけたフロントサイドやのリムに強弱のある厚みを持たせました。

このJN-401から搭載する機構「板バネ」もまた、ジャポニスムの代表的な構造です。

メガネの丁番には中に小さなコイルを入れたバネ丁番というものがありますが、その掛け心地の悪さや壊れやすさに疑問を感じたデザイナーが、より掛けやすくそして単純な構造のバネ機能を目指し作り上げた機構がジャポニスムの板バネです。

長時間、心地良く掛けてほしいという思いからうまれた機構で、今ではジャポニスムのアイコンともなっています。

その後も新たな価値を創造することへの挑戦を続けていきます。
それまでにない、マユ部分にバネ構造を持つ、ジャポニスムを象徴するメタルフレームJN-431は「機能が美しく自然な形状に内包された」フレームを体現する代表的なモデルとなりました。

そして現在、セテートテンプルの中に立体的なβテンプル芯を入れたバネ性のある立体的な造形のテンプルや、日本の伝統技術である鎚目模様をデザインに取り入れるなど、「既成概念を覆す」というテーマのもと、コレクションごとに進化を遂げています。

※1 鯖江というまちは、世界の眼鏡製造業界においても特別な場所で、国内の眼鏡フレーム製造のシェア率は約96%、世界的にみても約20%を誇る眼鏡製造の一大産地です。この地で初めて眼鏡の製造がスタートしてから現在までの100年以上もの間に、まち自体の産業として地に根付きました。1984年には、鯖江のメーカーが世界初となるチタンを用いたメガネフレームの製造技術の確立に成功しています。当時より鯖江の眼鏡は技術的にも世界をリードしています。

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